2008年03月25日

傍にあり

投稿して頂きました質問より

・過去に神がさがられた(人間界に干渉しなくなった)と聞いていますが、何故でしょう。
ずっと人間界を見ていることも出来たのでは無いでしょうか?

・万人にはっきりと神の存在がわかるようにしないのは何故ですか。
神の存在を万人が認識すれば行動が変わってくると思うのですが。
過去の神示より抜粋

神から遠ざかるは人間なり。
神から人を遠ざける事、見放す事はありえず。
人が求むれば必ず神は導かるる。
己の我、欲にて神から遠ざかる者多し。
されど、1度遠ざかりても再び神求むれば、神はふたたび足許照らしゆかるる。

声聞けずとも、目に見えずとも神の存在を信じ疑うなかれ。
どの時も神と一緒にありと思えば心落ち着こう。
皆人一人一人が心落ち着き、浄化さるれば悪き波動も良き波動へと変わりゆく。

人はいつも迷うものなり。苦しむものなり。
さなる時人は神を求むる。
目には見えず、声も届かぬゆえ人は神を求め、あるいは否定し、己に良きことありなば神の力を讃え、不幸ありなば、この世には神も仏も無いと言う。
人にはこの世の修行あり。
人それぞれに見合いし行与えられん。
魂穢れ、修行足りぬ者程、辛く厳しき行となるらん。
苦しきこと、悲しきこと耐え抜き乗り越えてこそ、人の痛みも悲しみもわが身の痛み悲しみとして捉える事ができるものなり。
この世の修行厳しきなり。

されど、心一つで全て変わるものなり。
心が歪み、意固地なるものは時に神を慕いて敬うなれど、あまりに強き信を持つがゆえに、ただ一度の不幸にても神を恨み、偏った考えに陥る者もあり。

神は常に人の傍におられ、見守られん。

あまりに強き偏った信は人から見れば奇異に見え、余計に神を遠ざけるなり。
心優しく穏やかな人は神が傍におられる事を当たり前のように感じ、神こそ全てと考えるになく、いたずらに神を求むるになく、されどいつも感謝の気持ちを抱く。そのような穏やかな信こそ神を信ずると言うことなり。

人は魂を穢すことにより、神様からの信号を受け止めることができなくなり、神様から与えられた運命の良い流れに乗ることができなくなってしまいます。これが人が神様から離れている状態で、正確には神様が人から離れているわけではありません。そのような状況でも神様は早く気づけと信号を送り続けてくださっています。

本来、神様の姿は見えないものです。声も聞こえないものです。

しかし、その存在を感じる事は誰にでもできます。
神に心を向け感謝を捧げ、魂を磨き、精神成長を目指し過ごしていれば、目に見えずとも声が聞こえずとも、神様に守られていることを必ず実感することができます。

そもそも、神様に守られていなければ人は生きることができません。
今も神々様は人を守るためにお働きになられていることを忘れないでください。

kibanamano at 11:49  この記事をクリップ!
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